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理事長コラム


放射線安全の問題が難問である理由
加藤和明
2010年04月20日

 ちくま文庫の1冊に「思考の整理学」というのがある。1983年に筑摩書房から単行本として刊行され、1986年に文庫に収められたものであるが、東京大学と京都大学の両生協では絶えることなくベストセラーの1冊となっているそうである。その著者である外山滋比古(お茶の水女子大学名誉教授)先生の講演を拝聴する機会があった(2010年03月23日:学士会館午餐会)。

 外山先生によると、文書というのは、パラグラフの集まりである。パラグラフは単語を選んで作り上げた文章の集まりであり、単語の選択と文章の作成は“知識”があれば可能であるが、パラグラフは知識だけでは作れないものであり、“思考”が必要となる。今の日本人は、知識でもって文章まではまぁまぁ書くことができるが、思考する力が非常に弱いので、パラグラフを書くことができず、国の行く末が非常に案じられる状況にある、とのことである。

 一方、「安全と安心」をテーマに先週末(4月17日)開催した当フォーラムの第13回(通算138回)放射線防護研究会で、講師のお一人、増田優・お茶の水女子大学教授は、(一般にモノゴトを議論するときには)「好ききらいではなく、事実に基づき、論理的に議論することが肝要」であると強調され、参会者は皆“感動し、心のうちで同意した”ように思われた。一般論としては、筆者も全くその通りであると考える。しかし、放射線に係る安全の議論においては、この原則を適用する上で特異的な困難があることを指摘しておきたい。

 放射線の安全問題について“思考”し、パラグラフを作って物語(文書)に組み上げ、人様にそれを伝えようと思うときに遭遇する最大の困難は、未来に係る“事実”の予測には“不確定性”が、過去や現在に係る“事実”の認識には(情報収集に時間的あるいは技術的困難を伴うことが多いため、往々にして)“不確実性”が、それぞれ不可避的に付随することであり、そのため、論理として、日常使い慣れている(こういう原因があればこういう結果が一意的に得られるとする)“必然性の論理”が使えず、代わりに(こういう原因があれば、こういう結果が得られるかも知れないし、得られないかも知れない。だが得られる確率は定まっている筈である。という)“蓋然性の論理”を用いなければならないことである。

 “不確定性”や“不確実性”は、ミクロの世界の“モノのコトワリ(理)”が“離散的にして確率的”という特性をもっていることに由来するところが大きいので、記述命題お確度に100%を常に期待することはできないのである。

 そうなると、先験的(a priori)あるいは後験的(a posteriori)に得られた情報の集まりから、もっとも確からしい“解答”を探索するしかないのであり、その最確解もしくは最適解の探索には評価関数の設定が必要となるのであるが、その評価関数は、解を必要とする人(または社会)の“価値観”に依存するのである。

 かくして、放射線安全の問題に係る文書を作成しようとするときには、外村先生が、それなしにはパラグラフを作成できない、と強調される“思考”の方法そのものが難しいものとなっているのである。

(2010年04月24日一部修正)



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