RSF 放射線安全フォーラム 本文へジャンプ
理事長コラム


時間と空間と物質
加藤和明
2010年02月24日

 日本が原子力の平和利用を始めた頃(1950年代)の放射線防護の教科書には、決まって「時間と距離と遮蔽」が“放射線防護の三原則”として載っていた。 @.放射線源を扱う時間(すなわち放射線に身を曝す時間)はできるだけ短くする、A.線源からはできるだけ離れる、B.線源と身体の間に遮蔽体を置いて放射線の強さを減弱もしくは遮断する、というものである。

 極めて常識的なものであり、誰もがすんなりと受け入れた(ように思われる)。私も例外ではなかった。それどころか、「“時間・空間・物質”と並べるなら相対性理論の教科書の表題と同じで、“宇宙の容器と収納物”とおなじものである。なるほど、放射線防護の極意とは、“自然をトコトン利用すること”なのだ!」と勝手に理屈付けをして感心していたものである。某旧帝国大学の放射線防護関連講座の某教授が「三つの原則の優先順位を書け」という問題を試験に出されたことがあったのを思い出す。

 ところが、後年、我が国で最初のGeV領域大型陽子加速器の安全管理に携わることになってみると、“このようなお題目を唱えてい(さえす)れば救われる”などいう程ことは単純ではないことを思い知らされた。この原則は「先ず放射線ありき」が前提に置かれ、いってみれば“受け身の放射線防護策”である。微量にして小型の線源を少数扱うような場合にはそれなりに役立つものではあるが、大型の放射線施設では、線源の制御こそがより重要で、“攻めの放射線防護”を行わない限り“安全確保”は困難となるのであった。

 大体、放射線の強さが線源からの距離の2乗に反比例するというのは線源と被照射体が点対点と看做せる場合にしか成り立たない道理であって、(無限)線状線源なら2乗が1乗に変わるのだし、(無限)平面となれば距離による幾何学的減弱効果は期待できなくなる。指先にちょっとしたRIが付着したとき、距離がゼロだから線量は無限大になると腰を抜かすなど、適用限界を考えずにこの“逆二乗法則”を当て嵌めることの弊害も目につくようになった。

 放射線防護に係るわが国の制度設計は、よく知られている通り、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に準拠したものとなっている。そのICRPは1977年の基本勧告改訂で、@.人が放射線に身を曝す結果を招く行為には“正当な理由”がなければならない、A.その場合には放射線の防護に“最適の対策”を取らねばならない、B.その上で、人の受ける放射線の線量に制限を加える、という新たな三原則「正当性、最適化、被曝制限」を打ち出した。よって、今日の教科書では、放射線防護の三原則といえばこれを指すものとして解説している。 筆者は、ICRPの新三原則にも意見を持っているが、それについては次回に述べることにする。

<補足>
 時間の短縮による“被曝低減化”にも、実務の上では厳しい制約がある。何かの行為を為し遂げるには、何がしかの有限時間を最小限必要とするものであって、1分だけとか1秒だけ作業していいなどというのは現業の世界では“不能”に等しい場合が多い。
(2010年03月11日)



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